近世前期の浄瑠璃太夫。生没年(寛永 9‐貞享 2)には異説もある。
【生涯】
大坂で活躍。1658年 (万治1) に大和掾を受領。1670年 (寛文10) には播磨掾となる。
【事績】
宇治加賀掾にも影響を与え,孫弟子に竹本義太夫がいる。
江戸の金平系 (金平浄瑠璃) の芸風を受け継ぐが、道行・景事にも巧みで、修羅の勇壮と愁嘆の哀傷とを兼ね備えた「播磨節」を確立し、人形浄瑠璃の演劇的・音楽的発展に大きく貢献した。「大坂浄瑠璃中興の祖」と仰がれ、演目は 100 余曲に及んだという。
2006/01/13 masashi tanaka