野川検校 ( 1650? 年 - 1717 年 )
関連概念 : 音楽家
日本

地歌三味線家。
名はらく一。

朝妻検校かう一 (?‐1690) から「三味線本手」の伝承を受けたとされるが、大坂における伝承の祖とされ、京都の「早崎流」ないし「柳川流」に対して「野川流」を称す。
「野川流」の名は本来は三味線本手の流名であるが、地歌三味線全体の流名としても用いられることもある。

【生涯】

生年不詳。
1696年(元禄9)、浅井野勾当を師として検校に登官。
妙観派。
1717年(享保 2)没。

【事績】

本手のみならず長歌の作曲においても特異性を発揮したらしく、『若緑』(1706) は、とくに野川作曲の長歌を収録するために刊行されたが、ただし収録曲中の該当曲は不明。
歌謡集『松の葉』(1703) には『数へ歌』のみ収録されている。

現行曲では『子の日』が有名。

2005/12/21 masashi tanaka
2007/03/06 masashi tanaka

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