十三鐘
湖出金四郎 作曲
近松門左衛門 作詞
関連概念 : 地歌 邦楽 祭文物

地歌の祭文物。

歌祭文「奈良の都傾城十三鐘数へ歌」とほぼ同詞章である。

【文献】

初出、文献正徳(1711〜1716)以前の刊と思われる『古今端歌大全』(増補版『吟曲古今大全』)に『南都十三鐘』として初出である。
これとは別に『古今端歌大全』には、『髪すき十三鐘』という替歌が収められるが、これは『髪すき曽我』を「十三鐘」にもじったものであり、他にも、寛延4年 (1751)刊『琴線和歌の糸』などに、『かはり十三鐘』という替敬も収められる。

歌系図』によれば、作詞近松門左衛門、作曲湖山金四郎、改訓は山本喜市で、曲種三下り芝屠歌、半太夫物とも。

目録に「数へ歌」と分類されるのは、歌祭文を原拠とするためか。

補説・歌舞伎狂言としての原拠は未考。
元禄13年(1700)大坂岩井座初演の『南都十三鐘』に何らかの縁があるか。
ただし、この狂言がこの年の初演とすると、近松門左衛門作の可能性は薄い。
『元禄歌舞伎小唄番附尽』にも『南都十三鐘』は収録されている。

なお『妹背山女庭訓』にも、同様な趣向がある。
半太夫物ともされるが、「金五郎」などと共通する三味線の手があるためか。

【歌詞】

   昨日は 今日の一昔 憂き物語と 奈良の里
   この世を早く猿沢の [合] 水の泡とや消え果ててゆく
   後に残りし その親の身は 逆様なりし 手向山
   紅葉踏み分け 小牡鹿の 帰ろ鳴けど 帰らぬは
   死出の山路に 迷ひ子の 敵は鹿の巻筆に
   ヨ、 せめて回向を 受けよかし
   サェ頃は 弥生の末っ方 よしなき鹿を過ちて
   所の法に行はれヨ 蕾を散らす仇嵐
   サェ野辺の 草葉に置く白露の もろき命ぞ はかなけれ
   [合] 父は身も世も あられうものか。
   せめて我が子の 菩提のためと 子ゆゑの闇に かき曇る
   [合] 心は真如の 撞鐘を
   一つ撞いては 独り涙の 雨やさめ 二つ撞いては 再び我が子を
   三つ見たやと 四つ夜毎に泣き明かす [合]
   五つ命を代へてやりたや 六つ報いは何の鋲めぞ
   七つ涙に 八つ九つ 心も乱れ
   [合]
   問ふも語るも 恋し懐し 我が子の年は
   十一 十二 十三鐘の 鐘の響きを 聞く人毎に
   可愛い 可愛い 可愛いと 共泣きに 泣くは 冥土の鳥かえ

「十三鐘」は、奈艮で六つと七つとの間についた鐘であるが、13歳の子供が春日神社の鹿を殺したため、十三鐘が撞かれる時刻に、石子詰の刑を受けることになり、その鐘を聞く母親の嘆きを歌ったもの。

2006/01/12 masashi tanaka

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